・+ 或る魔術師の物語 +・

星と銀の名を持つ魔術師 彼の者が統べるは言葉の魔法

左の瞳は翡翠の煌めき 幾千の空を翔ける風を視る
右の瞳は藍玉の輝き 幾千の大地を巡る水を視る

旅人の頭上には 月と星が縫い付けられた漆黒の帳
長く艶やかな髮を靡かせ 疾り抜けていく彗星の群れ

伝言を持たぬメルクリウス 黒猫の形をした夜を従えて
其の胸元に揺れるはギア・デ・プラタ 細い鎖と錆びた鍵

既に故郷は遥かに遠く されど歩みは決して止まらず
其の左手には 永遠を誓った証しの銀環

彼が恋うるは 虚ろの姫君
かつて其の美しさより “陽光の微笑”と謳われし彼女は 今や 微睡みの病に侵され
今日も褥の縁に佇み 茫洋と流れる時間の中で 深き海の底に眠る 人魚の姫の夢を見ている

彼が求むは 愛しの君を癒す術
如何なる薬も癒せはしないと 誰もが見捨てた憂いの姫
病める身体から抜け落ちて壊れ 世界の彼方に割れ散らばったのは 傷つき砕けた心の欠片
  
暗く冷たい水の底 満月の夜の尖塔の上 閉ざされた城の深き地下牢

拾い集めた心を組み上げ 魔術師は静かに魔法を紡ぐ
彼が探し求めた言葉の魔法は 虚ろの心に希望を満たし 憂いの瞳に光を灯した

声を失っていた唇が綻び 再び微かな笑みを形作った 瞼から溢れる涙は 色を取り戻した頬を伝って落ちる
取り戻されし“陽光の微笑”は 褥の縁から立ち上がり 其の手を取った魔術師に 何事かを囁いたという

しかし 伝承はそこで終わりを告げ 古びた書物は厳かに閉じられる

姫君が紡いだ最後の言葉が 如何なるものであったのか
其れを識る者は 誰もいない







無料ホームページ掲示板